(どうでも良い話しかしていないのだけれども…)
居間にあるパソコンを使っていた
報道バラエティの年末特番がついていた
そこに、啓発本などを出している小学生の男の子が出ていた
文章を書いていたので真剣に見ていた訳ではなかったのだが
彼の説法とか周りの反応とか、いろいろ気になる点はあるにしても
そういうのが売りなんだろうから、仕方ないし、別にいいと思うのだが
その男の子をスタジオに呼んで話している時に、
彼のライフスタイルの話から
学校へ行っていないポジティブ?な理由をいくつか聞いていて、
最後の方に、出演者(爆笑問題だったかな)が、いじめられたとかそういうわけじゃないの?と聞いた
…その質問は、残酷すぎはしないか
達観しているような口ぶりだけど、まだ小学生の男の子に、
自分のいじめの有無を言わせて、尚且つ、理由まで聞いていた…
見ているこっちが、胃が痛くなった
こんなヒドい仕打ちってあるのかな、トラウマレベルじゃないかな
健気に答えるその子を見て、たぶん、それほど問題視しなかったんだろうけど
大人だってツライだろう質問を11歳の男の子に、逃げ場も作らずに面と向かって答えさせて、
あまつさえ、全国放送で流すなんて、これは拷問だよ…いや、虐待か
テレビは、ここ数年ほとんど見ていない、バラエティだと尚更だから、
今はどんな芸能人が活躍しているのか、どんな番組が流行っているのかよくわからない
でも、こんなことが、さも当然のように放送されているなら、
それは悲しいことだと思った
その男の子の口振りや説法は、たぶん感心するよりも先に、
生意気だとか、矛盾しているとか、ネガティヴな意見を抱く人の方が多いのかもしれない
現に、ネットでかなり叩くコメントが出回っていた
(このネットの批判も、目にするだろうから…つらいな)
でも、あんな無情な質問に、真摯に答えたその姿勢は、本当にすごいと思う
本当はあんな経験をさせないのが一番だけど、あの勇気は賞賛に値すると思うんだけどな
質問者が非道だったとしても、
生放送じゃないんだったら、あそこをカットする判断ができない大人しか周りにいないのが、なんだか悲しくなってしまった
でも、それを望んでいるのが視聴者なのかな…寂しい世の中だな
Tumblrで以前見つけたのだけど、誰かのRTで
" 子供とは何か、という質問に答えたある人の「人を傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした "
というのがあり、子供じゃなくて、まさに周りにいる大人たちが子供なんだろうなぁ
まー私がどうこういう話じゃないのだけれど…
それに、私がテレビに慣れてないから気になっただけなのかもしれないしな
※展示の告知の関係上、ちょっと投稿の日付を操作しています。(12/29)
嘘みたいに綺麗で、作り物かと思ったら、 本当にあるお花みたい ボヤいたお詫びに |
1 件のコメント:
受けとる側の感じ方如何では、善意が悪意に変わってしまい、発した側の思いとはかけ離れたものになり得るものが言葉なのでしょうか
私も小さい頃随分ひどい暴言を吐いていたと思います
人を傷つけた事も多かったと思います
人が傷ついているの体感することで悦状態になり、それが心の隙間を埋める手段だったのか
隙間とは?
今思えばなのですが、
親から様々な形で傷つけられ、1番信頼し、信頼されるべきの親への、そのはけ口を友達に向けていたとすれば、人ひとりの問題ではありません
本当に満たされるとはどういう事でしょうか
やり直したい、人生をあの日からやり直したいと感じることが最近増えました
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