2017/05/29

虐殺器官

最近、人並みに通勤しているので
定期的に本を読む時間がとれて良い

思えば、SFを読んだのなんて、いつぶりか…
近未来(もしかしたら4、5年以内の未来で起こりうると予想すらできる)9.11以降の国際軍事もの
タイトルや、内戦、殺戮などの死体描写の割には、読み進めやすい文章なのだが、
いかんせん、軍事オタクでもないから、
近未来の武器や戦闘機能の描写を読んでいても、
なかなかイメージが難しく、そこだけが難点だった
これがファンタジーだとイメージを作りやすいのだけど…
私の頭は結局、外部からの情報の蓄積の組み合わせで世界が構築されているため、
ファンタジー系のパーツは豊富だが、ことSFに関しては、
オースティンパワーズレベルで、あまりにお粗末だから、
私の貧困な情報が文字についていけない…
知識がないと想像すらできないんだなぁ
…小説に限らず、世界も社会も人間関係も、全部そうなんだろうけれど

と、いうわけで、そのお粗末な想像を補うべく、
劇場版でアニメ化されたみたいだから(R-15)、DVDが出たらみてみようと思います
ちなみに、ハリウッドで実写化も予定しているらしい
この作家、伊藤計劃は、34歳という若さで亡くなり、
闘病中の3年間で、4冊くらいの本を書き上げ(1冊は絶筆)、
そのどれもがSF界で高い評価を得ている
文庫の巻末に、彼の最後の日記と
星雲賞授賞式での故人にかわってのお母さんのスピーチが書いてあった…
溢れ出る創作という意欲に相反して、命の時間のあまりの短さに、胸が苦しくなる
ちなみに、Wikipediaをみたら
7、8つ上だがウチの高校のOBで、その後、武蔵美に行ったらしい
高校の美術の先生に聞いてみようと思います

この本はあくまでフィクションだが
今なお続く、内戦や戦争、貧困や搾取に絡めて思うことは色々あれど、
結局、小説であれ現実であれ、
当事者とそうではない人との温度差は埋まることはないのだろうな
  
映画"ホテル ルワンダ"内の台詞より

ポール: あの映像をながせば世界は私たちを助けてくれる

記者: もし誰も助けにこなかったら?

ポール: あの残虐行為をみれば、必ず誰かが助けにくる

記者: 世界の人々は、あの映像を見て、怖いねというだけで、ディナーを続けるよ



実話の映画化
ルワンダ虐殺
1994年ルワンダでおきたジェノサイド
2民族間の内紛、100日間で、
約50万人から100万人近く(ルワンダ全国民の10~20%)の命が奪われる
映画は、それに救助の手をさしのべなかった国際社会を痛烈に批判している


ネット社会の2017年の現在ですら、
SNSで必死に叫び続けるシリアの国民と、
一瞬眉をひそめ、そのままディナーを続けるサイレントマジョリティ
(ex..YouTubeで懇願したアレッポのクドゥス病院へも支援届かず)
そうゆう私も、誰よりも何もできてないけれど…
知って、考えるようにしないとなと、つねづね思う
知識は、想像(創造)の糧になるし、迷った時の助けや支えにもなると思う
けど、歴史上で虐殺の駆り立てられる群衆もまた、
通常は、知識も常識も、良心さえあるんだよな…
それこそ、本の内容のように、人には虐殺器官があると考えてしまうな

伊藤計劃の違う本も読んでみようと思う

大絶賛の帯

2017/05/20

同人サークル"nabi"

会期終了間近で平日20時までやっていたので、
夜に三菱一号館美術館へ、ナビ派を観に行く

ナビ派…
一般的に馴染みのない派閥だと思うけど
ゴーギャン先生にインスパイアされた、
ボナールやヴュイヤールたちのカソリック信者で作られた
新たな表現を模索する、UKIYOE(浮世絵)とかが好きな会派のこと
(あってるかな?)
特設サイトが、これまたザックリだが、わかりやすいし、なんか面白い
http://mimt.jp/nabis/artist.html

これ、会期後無くなるのかな…残念
あ、明日までか!
同人サークルのオフ会みたいな雰囲気で、
めちゃくちゃ楽しそうなナビ派
ランソンのアトリエ、その名も"神殿"
(この、ネーミングセンス!ちなみにナビ派のナビは、ヘブライ語で"預言者"の意…)
に集まり、
仲間内でコスプレとかロープレとか、
創作物の発表とか講評とか
マニアックな文献の解読とかして、
意見交換という名の妄想ネタで飲み会とかしていたと思われる
…素敵すぎる
友達がいないから、非常に羨ましい…

で、本展の図録は買わなかったが、
こじらせ系男子?のヴァロットンの版画集を見つけて、即買いしてしまった
いい買い物をした
過去にヴァロットン展していたの知らなかった…
特別展示室っぽいところのルドンのグランブーケは素敵だった
ナビ派関連かと思いきや、ルドンのグランブーケは三菱一号館所蔵作品らしい…
ので、また見る機会はあるのは嬉しいな
結局、小さい頃から好きなルドンは変わらず好きなんだな
巨大なパステル画
実物おススメ
初めて三菱一号館美術館の中に入ったけど、すごいきれい
やっぱ丸の内が街的に一番ワクワクする
本当は帰りにタルトタタンを食べたかったが、姉宅でウニ丼を食べて帰宅
約1年前のひきこもり中(制作中)に、急にタルトタタンを食べたくなり、
未だになんだかんだで食べに行けていないのだけど…

2017/05/15

ジブリ系男子ノススメ

 調べ物していたら、まとめサイトでたまたま見かけたのだけれど、

理由を合わせて読むと、面白かった。

https://matome.naver.jp/odai/2135796945967301401

”4.もちろんシャツは「イン」な!!”

ちなみに私は、小さい頃にナウシカを見て、二刀流のユパ様に憧れ
ラピュタでは、インテリ風皇族のムスカが好きだった

だが、中でも、一番心を奪われたのは、
ナウシカに出てくるクシャナ殿下(皇女)

一目惚れの域
ジブリの中で、今でも最も好きだと思う



みんなそれぞれ、思い入れのあるキャラクターがいるほどに、
日本人のジブリ浸透率の高さよ
知らない人は非国民の勢いである

ジブリや新海誠(『君の名は』とか)などのアニメ映画は、
日本人なら観ていて当然的な扱いで、

他のアニメを見ていると、
オタクと思われる傾向があるのはなんでだろうか

そして、オタクという呼称が、
大して知識も深くない人に、むしろ蔑視的な使われ方をされている

たぶん、起源はマニアに対する侮蔑用語になるのかな

少し前だと、「見た目がすでに気持ち悪い人=オタク」
になりつつあったけど
今は、「見た目が3K(キツい、キモい、キタナい)=オタク」
とかは、もう常套句だし、
「コミュニケーションがうまくいかない人、ダサい人=オタク」
になりつつある気がする

使用感は、差別や中傷である

オタクは、外見的な特徴の意味は一切内包しない言葉だったはずなのになぁ

ちなみに、本来の意味で行けば、
マニアは、最大の褒め言葉だと思うし
オタクは、マニアからの派生なら、やはり褒め言葉になる気がする

ただ、私の中でマニアの認識は、
相当な知識量の人以外は認めないので、

つまりは、世の中のオタクと認識されている人は、
大概オタクではなく、
ただの趣味人、ないしは、誰かのファンなだけな気がする

つまり、趣味を持ち、人生を謳歌している人のこと

好きなことならば、オタクに限らず
調べたり、知識を持つのは当たり前で、
集めたり、追いかけるのは自己陶酔型
真似したり、匂いや味わうとかになると、
だんだん個人的な嗜好(フェティシズム)が強くなる
度が過ぎると、ストーカー心理と同じ状態になる

でも、これは、個人差があれど、
好きなら(当然?)起こりうることだと思う

でも、マニア(オタク)は、好きなものについて、
自己考察できて、
本一冊くらいは書くことができ、
流行り廃りにながされなく、
他人にその愛を納得(圧倒)させるだけの力があるときに、

はじめてマニア(オタク)だと思うんだけどなぁ

あぁ、それと、軽い人やオシャレな人がたまに使う、
"俺(私)、〇〇オタクだから" 
っていうのは、
大概が、自分を下げて隙を作るコミュニケーションツールなので無視してください

俗にいうオタクの人は、
〇〇オタクの〇〇って単語を発した瞬間に、
瞳孔が開き、若干発汗します

つまり、恋愛と同じ原理です

ちなみに、ジブリ系男子はモテるのかもしれないけれど、
ジブリ好きな男子がモテるかどうかは、保証しません

ジブリアニメのセリフで会話する高度な遊びをする学友は数人いたが、
それは、一般的には、気持ち悪い(=オタク)って認識になってしまうと思うので、あしからず

2017/05/10

天下のRAKU FAMILY

 楽焼の、世界での知名度の高さには驚く
特に欧州なんかの陶器のギャラリーを覗くと、"RAKU"と頻繁に目にする
恥ずかしいのだが
私の陶芸の知識の無さには、自分でも愕然とする
だから、感想がお粗末すぎて、あきれられそうだが…
 
MOMATで開催中の"茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術"を観てきた

樂家の系譜と銘品の展示
 
 
樂家"Raku family"と聞くと、
なんとなくCorleone familyっぽい響がある
(...勝手なイメージです。本当にすみません)
 
お茶(千利休)と樂家は、芸術というよりも、時の権力者絡みの歴史の印象が強く
また、その2つはあまりに価値のあり方などが特殊で、
何だか、絶大な力を持つ別次元の存在に感じているせいかもしれない


京都の方が広告センスが良いな

千利休と初代・樂長次郎がともに、
茶の湯のために作った、茶碗のための焼き物が楽焼の発端といわれ
樂家は、450年かけて、ひたすら茶の湯の茶碗をつくり続けている
かなり特殊だと思う
 
 
美しさって感覚が、整っているものという判断だけだったら、
物事は少々残酷だが単純なのだと思う


しかし、利休に洗脳されている日本人の血には脈々と、
侘び寂びの美意識が刷り込みされている気がする
(サブリミナル的な感じで)
 
なぜか、こんな歪んでちっぽけな黒ずんだ高台のよれた茶碗に見入ってしまうし
触れてみたいなと思って、想像してガラスの前で持っている感覚をイメージしたりしていた
完全に、はたから見たら怪しい人です

初代 長次郎 黒樂茶碗 銘 大黒(おおぐろ)

しかし、会場が暗すぎる…
特に、長次郎の展示室が特に暗すぎて、
実際の色と雰囲気がつかみにくい
 
450年続いている一子相伝(しかも男系継承)の芸術とか、
それはすでに忍者の秘伝レベルである
 
 
相伝といえど、それぞれの代により特徴があるので、
惹かれないものは、その作品すべてが、全く惹かれないけど
惹かれるものは、どの角度でも見ていたくなる
 
 
たぶん、利休以降の茶道はもちろんだけれど、
樂の美意識は、仏教哲学、老荘思想、禅などが色濃く反映されている


初代 長次郎 黒樂茶碗 銘 面影

小さな空間の中で、限られたもので見立て
茶碗の中に、宇宙を見る
もう、哲学以外の何ものでもない

その東洋的な感覚や思考もまた、西洋では神秘的に見えてウケるのかもしれない 

 
現当主、15代吉左衛門さんの彫刻的な作品が一番多く展示されており
初代の長次郎さんのと対照に置かれていたりする
そして、次期16代は、私と同い年だった
樂家の看板の重責を考えると、空恐ろしく、私なら、無理だ…
押し潰されて逃げるだろうな
 

こちらが、京都国立近代美術館

こちらが、東京国立近代美術館

両チラシとも、
上が初代・長次郎の茶盌(大黒)
下が15代・吉左衛門の茶盌
吉左衛門さんの茶盌が、京都と東京で違うのが好みが出ていて面白い

長次郎さんのは、うまく言えないが音が吸い込まれる感じで、静寂
吉左衛門さんのは、絵画・彫刻的で、躍動

未だに感覚でしかものを見ることができないので
その先(奥)を見れるようにならないとな
10年前からの私の課題である…
 
 


余談だが、
茶碗などの、"わん"という字を"盌"と書くことがあるが、
この字を見るたびに、"怨"(うらむ)を思い出す
下が、皿か心かの違いなのだけど
盌と書いてある茶碗には、怨念が入っている気がする
調べたら、「夗」の成り立ちは、人が腰を曲げて膝まづいて拝んでいる人の姿だそう。
曲げて押し込めるという意味があるそうで、即ち「曲がっている」ことを意味する
 
ネットスラングだと"orz"ということかな
 
皿が曲がれば、わん"になり
心が曲がれば、うらみ"になる
でも、盌と怨の間にはもっと深い関係がある気がしてしまうのは、
私のひねくれた性格のせいか…
茶盌を巡ってドロドロした利権とか、莫大なお金が動いてそうとか…考えてしまう
あ、四谷怪談の怨み"は、盌み"と書けそうだな…
 
 
そういえば、
どっかで見たことあるな、知り合いだったかな…と、
会場で何度かすれ違った人がいたのだけれど、はなちゃんだった
たしかに、こうゆうのとか好きそうだしね


私にとっては、面白い展示だったけど、
欧米人にとっては、面白いのかな?…と、
会場で、何人か旅行者をみかけたけれど、
つまらなそうな人とものすごい熱心にみている人(少数)と対照的だった

そして、アメリカとロシアからの凱旋展らしいが…
たしかに、吉左衛門さんの作品は、欧米に向いているかもな