2017/11/16

憑き物おとし

『狂骨の夢』上中下巻 京極夏彦

ラジオドラマの"百器徒然袋"(佐々木蔵之介主演)を見つけて仕事をしながら聴いていたら、
『魍魎の匣』以降読んでいない百鬼夜行シリーズ3作目『狂骨の夢』の読書欲が出た
そして相変わらず厚い…
”鈍器になる推理小説”って言われているけど、次作はもっと厚いのか…

奇しくも連日報道されている座間の事件の最中だったが、
小説でも現実でも生首やら骨が沢山出てくるから、どちらがどちらかわからなくなる

小説は、動機もオチも解説もあり、京極堂が憑き物まで落としてくれるが、
現実世界では、世間が事件の発覚で憑き物にとりつかれている感じがする

動機は、世間が納得するためにあるのだろう、後付け感が否めない
不自然な”一般的”動機が報道から流れてくると、違和感から体毛がゾワゾワする

事件が起きると、それが凄惨であればあるほど、
犯人が、異常であるとか、育った環境が特殊であるとか、精神疾患だとか、
”普通じゃない”ことにして、必死に自分たちの日常と切り離そうとしてみえる
隣人のドアの隙間や自分の心の仄暗さが、無関係だと証明しないことには、あちら側へ行きそうで怖いのかな


本書に、史実に基づく事件も出てくるのだけど、昭和は変な事件が多いな
死のう団事件とか、熊沢天皇とか…
大本教の出口王仁三郎くらいしかパッと思いつかないが、
自称天皇って、近年聞かないのは、すっかり民間の皇室信仰が薄くなったからかな
あ、、有栖川宮詐欺事件(2003)があったか

『応天の門』1巻~ 灰原薬

朝廷への権力闘争の真っただ中であった平安京が舞台の漫画『応天の門』
かなり面白かった。早く続き読みたいなぁ。絵も好みで綺麗(←絵は大事)

偏屈で秀才な菅原道真(18歳・写真右)と女好きの色男の在原業平(38歳・写真左)が活躍する、平安時代版シャーロック(BBC)
相関図や大きな流れは史実に基づき監修や解説も入っているから、なお面白い
タイトルからすると、応天門の変が山場になるのかな。

それにしても、昔の日本って、本当におかしな国である
なんか不思議すぎて、国自体が気の触れたカルト教団みたい

日本史より世界史の方がドラマ性があって好きだったけど、
「ナクヨウグイス、平安京」、みたいな覚え方じゃなくて、
ドロドロの権力争いとか細かい人物の背景描写とか、特異すぎる文化を踏まえて、絵とかストーリーで学んでいたら古代中世あたりでドハマりしてそうだな
古典や漢文だって好きになっていたかもしれない…って、自分のせいか


※不注意から脚を怪我したので、数日、ふて寝しながらパラパラと本を読んでいました

その他の本(覚書)
『ウツボラ』1-2巻 中村明日美子

『狂骨の夢』の途中で漫画の『ウツボラ』を読んだ
同じミステリー物
”顔のない死体とひとつの小説をめぐる、謎の物語”

意外にも、なんかちょっと似ている所があった…そして、面白かった
この人の絵、好きだな。ビアズリーっぽい。

『有栖川の朝』久世光彦

思い出しついでに、20年来の最愛の作家である久世さん節の有栖川宮詐欺?事件
読むといつも思う、久世さんの文章からは、女の人と日本語と昭和への愛しさが溢れてくる
はすっぱなかわ”いい女”を書かせたら右に出る作家はいないだろうな

『獣の奏者』1-4巻+外伝1巻 上橋菜穂子

移動中の本としては向いていない、5ページに1回は涙が出るしくみになっている気がする。何度車内で涙し、周りに凝視されたことか…

大きな力を知り得た人が、その怖さと真実を語り継ぎ、未来永劫、果たして使わずにいれるのか、それが疑問である。
上橋さんの書く話には、本当に悪い人や理解不能な人などが出てこない気がする。

ファンタジーの魔法や妖精が苦手な人にもオススメできるのが、上橋さんの本
でも、やっぱり彼女のだと”守り人シリーズ”の方が好きかな。

2017/11/09

やっぱりハスキーが好き

15日からの銀座三越に出す作品

ちなみに小さいです(高さ7㎝くらいです)
シベリアン・ハスキー


Milo & Oliver

この間、温泉へ連れ出してもらったら
久しぶりすぎて忘れていたが
余計に温泉欲が、出てきた

願わくば一年くらい湯治したいです(※健康ですが)

×××××××××××

2017年11月15日(水)~11月28日(火)
10:30~20:00
銀座三越7階 ジャパンエディション

49日

晩夏の薫りがかすかに残る頃
季節ものを目にして、学生の時にお世話になった方のお母様の好物を思い出し贈ると
丁重なお礼とともに、1つの訃報も受け取る

在学中にお世話になり、葉書などを出していたが、10年近くお会いしていなかった先生だったのに
もうどうやっても、この世で会えないことを頭と心で認めなければならないのは、なかなかの難儀である

御葬儀に行けもせず、ソワソワと、何をしたらよいのかわからないでいると

先輩が、御香典などの連絡をくれて、何かできることに、少しだけ気持ちが救われる
もう、自分もいい歳だし、下にはたくさん後輩もいるのに、未だにそんな先輩方のようになれる気がまったくしなく、頼もしさにすがり、おんぶに抱っこである


見た目がムックみたいで、穏やかで大きく優しくて
のんびりした山形弁訛りで目尻を下げて笑う、とても温かい先生だった

モシャモシャの髭面なのに、手がとても綺麗で
ロクロの上で、それは精巧に動いて、黄味色の磁土が飼い慣らされた生き物のようだった

実は内緒にしていたが、先生が見本で作ってロクロ場に置かれていた蓋物を、演習終了後に勿体無いから勝手に釉掛けして焼きました(後で、白状したが)

下手くそな生徒だったが、根気よく教えてくれたはずなのに、
覚えているのは演習内容より他愛のない雑談ばかりで、
玉の輿に乗る方法とか、学校に連絡がきた古い知人の話とか、先生の弟子入り時代の話とか、好きなスニーカーの話とか、そんなことしか覚えていない

もっと学んでおけば良かったとほぞを噛む思いばかりだが、
でも、そんな話こそ、制作中にふと思い出して、殺伐とした気持ちが少しホッコリするのだから、
まったく教え甲斐のないダメな生徒だが、教わるとは不思議なものだと感じる

そんな事情で同級生に連絡を取ると、
卒業する時に、先生から一人ひとりに手紙をもらったという話になった

全然記憶になく、言われてもピンと来ない
もうその頃の記憶も曖昧である

大切な手紙類は基本的に取ってあるので、箱の中を探してみると、テープが少し黄ばんだ飾り気のない白っぽい封筒に入ったレポート用紙が出てくる

もらった状況は思い出せないのだが、
あぁ、確かにこれは、読んだなぁと思う


暗に私個人に向けた言葉なのか、一卒業生に向けた言葉なのか、いまいち判断がつかないが、
手紙なのに、
口癖の、何だべなぁ…と、何度か吐きながら
物作りについて独り言のような手紙だった

その頃の私は何を思ったのか忘れてしまったが、
10年近くたって再度読むと、今の私の痛いところを突かれているなと、少し考え込んでしまった

自己紹介するときの、単なる記号として、陶芸家ですと伝えるが

自分を陶芸家だと思えたことがなくて、カテゴライズする必要はないのかもしれないが、
じゃあ何かと聞かれたら困るし、説明するのも面倒臭い

でも、先生の手紙から、この人はやきものが好きで良いモノを作り続けている人なんだなぁとしみじみ感じる
陶芸家ってこういう人であって欲しいという理想そのものなのだから

私の陶芸に対する罪悪感は募るばかりだ

最後に会った卒業後のある時に、やはり別の訃報に集まった席で、ふくちはこれを予知していたんだなぁっと私の出した手紙を握りしめて聞いてきた時があった、が…

先生こそ、今の私を予知していたのですよね?と聞きたいけれど、
…もう、できないじゃないですか…

何だべなぁ…

今頃、薬師如来の御前におられて、7回目の審議の頃だろうか



早すぎるよ、先生

2017/11/06

コクチ『わたしだけの干支もの展』@銀座三越7階

こちらは、東京でのグループ展示です

今、初めて銀座三越のHPで展示のタイトルを知りましたが…

『わたしだけの干支もの展』
2017年11月15日(水)~11月28日(火)
10:30~20:00
銀座三越7階 ジャパンエディション
戌とか猫とかパンダとか富士とか、縁起が良さそうなものを30点くらい出すと思います


くつろいだ感じでクタァ~っと座っています
なんか写真だとかわいさに欠けるな…
本物の方はもう少しかわいいと思います(当社比 笑)

本人いませんが…すみません
銀ブラついでにでも、お立ち寄りください
たぶん、7階にあるギャラリーの隣あたりかな?
よろしくお願いいたします

鯛乗りの箱書き
自分の好きな犬種が多いです
全部、手でコネコネしているので一品しかないです…
シベリアンハスキー・バセットハウンド・ブルテリア(風)・ボーダーコリーとか

ちなみに、全員に名前を付けてみました
箱裏に書いておきました  笑

パンダは、チャイニーズネームです
パンダの後ろ姿(おっさんっぽい)
ちなみに私はパンダ好きではないので、
パンダ好きのお目にかなうか不安しかないですが…


しかし、実に詩的である

用事のついでに、資生堂ギャラリーを覗くと

展示の入り口にあったディレクターズメッセージが、面白かった

"絵を描こうとする時、イメージ(画像)が頭にわく瞬間がある。これは人によって様々だ。味のような画像、色でさわっている触感、目で嗅いでいる香り…。これらは本人の記憶や経験(外的な力)と、刺激を受けた感性(内的な力)がないと生まれてこないそうだ。イメージすることは美術だけに限らず、新しいことを想像する時には大切にしたい作業だと思う。本人が持つ内と外、双方の力を重ね、その人の中でオリジナルの画像が浮かび上がる。イメージの最終成果物でもあるモノゴトは、ゼロからはじまらないと言われるが、ゼロもゼロからはじまらない、と考えてみた。では、どこからはじまるのか、ゼロは本当にゼロなのだろうか?―――" (本文抜粋)


ちゃんと意識したことはないけれど、このような感覚があるのはわかる

でも、じゃあ自分はどんなだろうと考えると、ちょっと面白い

しかも(私の場合)、文章書くときと、絵を描くときと、形を作るときとで、それぞれ違う気がするのだけど…

ちょっと意識してみてください

展示内容は、科学未来館的な展示だった