2015/03/26

ホントウノ

ある人が、その時に私に話した話が
未だに、真偽のほどはわからないが
もし仮に、ウソだったとして、
どんな意味があって他愛のない作り話をしたのかよくわからないし
それを、初対面に近く、その時にたまたま居合わせた私に話す必要があったのかよくわからない

単なる暇つぶしにしては、やたら詳しくて、面白かったし

唐突な話だったから、眠気覚ましにするには、ちょうどよかった

それがものすごく詳細かつ鮮明なもので、にわかに信じ難くもある内容な気がしたが、知る限りでは辻褄が合うし
なにより、調べようがないことだったから
"本当だ"と私が信じてしまえば、まことの話となるのだろう

誰も傷つかないウソで、尚且つ、誰も喜びもしない話で、
変哲もないその時間に色彩が出るのなら、それは、面白い小説と同じであると思う

その日は、交代で寝ずの番をしなければならずに
20歳くらいは上の人と二人で火の前で暖をとっていた
 
はじめは他愛もない話をしていた
少し飲んでいたので、普段はさほど話さない人だったが、その夜は舌が滑らかで、ポツポツとだが途切れることなく話していた

どんな話の続きだったか忘れたが
自分は大してパッとしない人生を送っているが、自分に関わった人がものすごく有名になっているという話になった。
はじめは、よくある類の話だと思っていたが、あまりに内容が込み入りすぎていて、聞いているうちににわかに作り話とも思えなくなった


彼は年若い時に、幼馴染の女の子と恋に落ち、お付き合いをした
だが、歳の若さもあり、ある事情から別れなければならず、そのまま疎遠になってしまった。
だが、彼女は彼の子を身籠っていて、若い身空で男の子を産んだ。
 
彼女にはお嫁に行ったお姉さんがいて、姉夫婦にはすでに子供もいたので、彼女は年若い未婚では育てられないと姉に養子として引き取ってもらうことにした。
 
彼が、子供のことを知ったのは産む直前だったのだが、その時に一度彼女に偶然会っていた。
彼はまだ経済力もなく、やりたいことが夢半ばの時期だった
 
彼女は認知はしなくてよいとキッパリと告げたが、名前だけは付けてくれと頼んだ。
彼は名前を考え、そして、もし覚えていたらと、ひとつ息子にやらせて欲しいことがあると何気なく頼んだものがある。それは、彼の趣味でもあった。

彼女は、産まれてきた子にその名をつけて、育ての親となる姉夫婦にそのことを告げたのだろう。

その何年か後、彼女の姉夫婦は、引っ越してしまい、成長の過程を知る由もなかったのだが

約束を律儀に果たしてくれていたとわかったのは、ある世界でその子の名前を見たときだったそうだ。
あの時、道端で話した小さな約束を十数年後にみたのだ


…私の記憶をたどり、かいつまむとこんな感じである
(内容は一部ぼやかしています)

その少し前に、本でその世界の話を読んでいたこともあり、合いの手を入れる私に、彼は、よく知っているね、と嬉しそうに話してくれた

顔も言われてみれば、似ている気もする…いや、歳をとった今などかなり似ている…が、作り話にできる話でもある
だがもし、それが作り話だったとして、なぜこんなにも詳しく話したのだろうか、と少し可笑しくなった

この話ともう一つ、その人は、真実っぽい作り話(本当の話?)をしてくれたのだが
友人の作家が、ネタに困っていた時に、自分の破天荒な叔父さんの話を何気なく提供したのだそうだ
それが、今や有名な主人公のモデルとなったそうな
たしかに、作家と同年代だし、そのモデルについては、進言さてれいない

いまや、ネットでなんでも調べることができる時代だからこそ、
調べようのないところをうまくついて作り話をするのは至難の技である
だから真実の話であることよりも、これが作り話のほうが、
ネットをかいくぐり、そんなことが可能なんだと、なんだかむしろ感心してしまった
ウソマコトに関わらず、話が上手い人に会うと、尊敬してしまう
特に、自分の話をするのが上手い人は、本当にすごいと思う

彼がもし詐欺師だったら、完全に騙されているだろう
だが、詐欺師でもなんでもなく、喋りともまったく関係ない職業の人だということは周知だったのでよかった
そもそも、騙されたところで自分に被害さえない

だが、この話は、あの話していた空気感のままによく思い出す
遠くで鹿の鳴き声がして、辺りは真っ暗だった。
静まり返る山は黒く大きく背後に迫り、広大な自然の中にいるにも関わらず、灯りの届く四畳くらいの範囲だけが、周囲から隔離された空間のように感じた

私は、話好きな人だとよく思われがちだが、実際は、話を聞くのはすごく好きだけど、話をするのはものすごく苦手で、特に自分の話をするのが大の苦手である

話さず文字におこすのが好きだから、きっと典型的な現代っ子なんだろう

この記事の写真がないから、
姉にたかってご馳走になった鹿児島&佐賀牛のハンバーグ&ステーキセット
の写真を自慢げに載せてみる


2015/03/25

姉の引っ越しを手伝い(?)に行くが・・・

福岡到着後、すぐ先輩の渉さんのいる波佐見まで遊びに行く
渉さんと私と工房で手伝ってる後輩のありちゃん


新工房です
こんな工房があれば、仕事もはかどるだろうな
いいな
 

即興

(3枚とも、姉撮影)

姉の家、ある意味段ボールハウス
段ボールの中で寝ていたら、夜中に足に梱包された大きな鏡が倒れてきて
もどすの面倒くさくて、そのまま下敷きになったまま朝まで寝る

かなりロックな中身の段ボールを発見
 手伝いに行ったというよりは
結局、いろいろ食べに行った感じになったが・・・
九州に行く前日も、
楽しいホームパーティーに呼んでいただき、
あまりの美味しさに5時間食べっぱなし
という所業をしていて、最近の食べっぷりに身体がパンパンしている・・・
 


ゴーン

2015/03/20

あれから、20年

 
地下鉄サリン事件、オウム真理教強制捜査から、20年も経ったということに、かなり驚く
ということは、あの事件を知らない世代がハタチを迎えたことになるわけだ
すごく不思議である。

思春期だった私は、テレビの前で、得体の知れない恐怖と同時に理解できない存在への好奇心で釘づけだった。
 


昨日もチュニジアでの悲しいテロ事件があったばかりで、
今やテロへの意識は、よその国の出来事だけでは片付けられなくなったが、まだどこかで意識が薄い
20年前は、なおのことだ
宗教とテロに疎いこの国で、この事件はかなりの衝撃だったはずである。

 
95年は、阪神淡路大震災(1/17)、オウム事件があった、
景気はどんどん悪くなっていき、なんだか先が全く見えない気がした
急に色んな事が変わっていく気がしたし、変わらなければならないと感じた

4年前の地震の時と同じように。



オウム事件がおこる数年前から、
今でも良く覚えているが、

"守護霊"や"死後の世界"など、不確かなものを媒体としたものをよくテレビ番組で扱っていて、
宜保愛子や丹波哲郎が、いろんな番組に出ていた
心霊現象やUFO、宇宙人などといった番組もたくさんやっていた
 
また、よく新興宗教もとりあげられていた
芸能人が新興宗教の広報担当だったり、マスコミ関係者に信者がいたこともあったのかもしれない
オウム以外にも、いくつかある宗教がクローズアップされていた。
宗教に疎い国民な分、物珍しかったのかもしれない
コメンテーターよろしく顔出す宗教幹部たちは、テレビ画面で不思議な構図に見えた。
 
だが、オウム事件後は、自主規制が入り、すべての心霊番組なども忽然と姿を消した
この時はじめてサブリミナル効果という言葉を知った


ずっと、事件前の番組だと思ていたのだが、
占い師や霊媒師を使い超能力捜査で未解決事件や行方不明人、家出人を捜すなどの番組もあった
あるものは、白眼を剥いた腹話術の人形の口をパクパクさせて、シャーマンとなり答える
あるものは、FBIの捜査協力をしているといい、通訳をつけて来日までしていた

ひどく不気味で怖かった
それになんだか違和感があり、気分が悪くなったのを覚えている
だが、これは2002年~2006年に放映されていたものだったらしい


 
自主規制していたメディアに
その手のバラエティ番組や著名人が増えはじめたのが、事件から約10年後だった
 
以前のようなおどろおどろしさよりも、きらびやかなリッチな雰囲気を前面に出した"スピリチュアル系"と呼ばれる人たちが出てきた
江原さんや細木さん(この人は占いか…)などお金持ちそうな人たちが台頭してくる
"スピリチュアル"や"前世"、"オーラ"という言葉がやたら画面で踊っていた

スピリチュアルという言葉は、その後、すごい勢いで日本で浸透したと思う
特に、20代から40代の女性を中心に、心のよりどころのようにさえ見えた
 
そのせいか、霊視や霊感商法が、問題視されるほど、流行り出した
宗教よりも手軽だし、疲れていたり悩みや迷いの多い現代人に、もっともつけ込みやすく儲かる商売であると(腹黒い私は)思ってしまう…

そして、現に、オウムしかり新興宗教の勧誘方法が正に、スピリチュアル商法と酷似していたりするので、宗教か否か見分けづらくもある

視聴者の意識やスピリチュアル商法の相談件数の急増と、オウム事件の前例もあり新聞報道や識者からの批判があり、マスコミによって作り出されたスピリチュアル系のブームは、またテレビから消えることとなる

実は、こんなに流行っていたのに、これらの番組を全く見ていなかったので、内容は詳しくは知らないのだが、
周りにスピリチュアル好きな人がやたらと多いので、なんとなくはわかる

他人の趣味や信仰については、なんとも思わないが
自分が興味なかったのは、このブームも名前を変えただけで、以前と何ら変わらないと思ったので、小さい頃に感じた違和感のまま、あまり好きではなかったのだと思う
(宗教に関しては、むしろ学術的に興味があるのだが)

 
2011年、東日本大震災があり、たくさんの方が悲しい想いをされた
多くの人が亡くなり、今も受け入れ難い現実と戦い続けている人が、たくさんいると思う
 
震災後は、魂というキーワードが取り上げられている気がする
地震後、お墓がなくなってしまった人やお参りに行けなくなってしまった人
また、ご遺体が見つからない遺族の方など、本当につらい思いをされていることだろう。
先祖信仰が強い国でもあるので、お墓を守り、供養することで、お墓が埋葬された魂との対面の場所のように、なんとなく考えている人が多い気がする。
それだからこそ、そういう事が叶わなくなってしまったことは、よりこたえるのだろう。

何年か前に大ヒットした歌の"千の風になって"では、魂はお墓などの一箇所にはおらず、自由に飛んでいたり、自分の近くにいたりというが、
この思想は、地震後の感覚に近い気がする。

伝統宗教者などの話によると、近親者をなくした方などから、霊体験をされたり、そのような相談をされることが増えたのだそうだ。
心のケアを最優先に考えた時に、霊や不可思議なものへ肯定とも否定ともつかない観点でケアしていくことが進められているそうだ

そういったこともあり、霊体験が学術的に研究され、それをメディアでも取り扱うようになった

ちょうどオウム事件以前と少し似ているが、今回は、識者や高齢層が中心になってこの分野を取り上げているらしい。



メディアとブームは、密接に関係している
マスコミは、不特定多数の人を簡単に扇動できてしまうのが、とても怖いと思う
だからこそ、こういった分野は取り扱いがとてもセンシティブなんだと思う

今日、事件から20年目を迎えたことにより、各局で、オウム事件を取り上げている
この報道を見て、事件以降に生まれた世代は何を思うだろうか
昔に起きた、奇怪な事件だと思うのだろうか

主犯格はほとんどが捕まっているにもかかわらず、この事件は謎が多く、刑の執行もされておらず、まだまだ未解決のままである
たくさんの被害者の方たちは、肉体的にも精神的にも未だに苦しんでいる

オウム事件は、とても恐ろしく、また、自分には興味深くもある
特集ニュースはつい追ってしまうし、事件関連の書籍も読んでしまう


被害者の方々のために、せめても事件ができるだけ早く解決することを心から祈ります
 



 

2015/03/18

展示が、終了しました

『春、カミナリが鳴る』
(抹茶盌)

Thank you for coming to my solo exhibition, new works by fukuchi ayako, at Mitsukoshi in Nihonbashi, Tokyo.
Thankfully, it was a success and my works were all sold out.
I was suppressed and glad to have such a exhibition.
I made about 120 art pieces out of clay for this exhibition.
At first, I was nervous because i had had a solo exhibition for the first time in almost two years.

 
この度は、『ふくちあやこ作品特集』(日本橋三越本店 本館6階工芸サロン)にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。


昨日、会期を無事に終了することができました

最終日に、完売という本当にありがたい形で終わらせていただけましたこと、大変嬉しく思います

心より御礼申し上げます



全部作品が無くなった時に、ダブルピースして「完売しました。ありがとうございました」と、言っていたら、
「売るモノがもうないから、先生にキャプション付けて売らないとね。」っと、一人ならまだしも、いろんな方に口々に言われました・・・・・・・笑

・・・・売れるものなら、とっとと売りに出していますよ


なにはともあれ、ヒヤヒヤしながら迎えた久しぶりの展示を
皆さまのお陰で、愉しい展示にすることができました

深く御礼申し上げます

120点近い作品が、完売するということは、なかなか無いことですが
これは、たまたま色んな幸運が重なり、また皆さまの温かいご支援の賜物であったと、強く感じております

これからも、ますます精進していきたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします

取り急ぎ、ブログにて、お礼まで


2015年3月吉日

ふくちあやこ

2015/03/15

残り2日ですが、完売しました

残り2日になりましたが、大変うれしいことに、本日、完売いたしました。
本当にありがとうございました。

後半の週に来ていただいた方には、作品が少なくて、見ごたえがなかったんじゃないかと、申し訳なかったです。

展示2日目あたりの様子
↓↓↓

今は横の棚は、一刀彫の兜が飾られています

おそらく、明日あさっては、売約済みの作品が6点ほど、会場にあるだけだと思います
(厳密にいうと、実は以前の作品で、地下のウィンドウの都合上出していたマメ皿が1枚だけありますが)

展示2日目あたりの様子
↓↓↓

今、かなりスカスカです・・・・


このたびは、日本橋三越本店 本館6階工芸サロンでの展示にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。

会期が長かったこと、三越さんが宣伝に力をいれてくださったこと、またスタッフの方にもいろいろ面倒を見ていただき、大変お世話になり、本当にありがたかったです

また、何よりもたくさんの方がお立ち寄りくださり、本当にうれしい結果につながったのだと、心より御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

残り2日ありますが、もしいらっしゃる予定だった方は、見るものがなくてつまらないと思うので
できれば、次回の展示で、見に来てくださることをお勧めいたします

今後ともどうぞよろしくおねがいいたします。

このたびは、誠にありがとうございました。

ふくちあやこ

2015/03/13

情報を改良中

疲れから(?)か、気が緩んだからか(いや、まだ、展示終わっていないです…)、
じんましんが出たので、制作を中断して、日記以外は放置しっぱなしのblogの改良をしている

だいたい、作品の写真(worksってページ)とか、5年以上前の作品だし・・・これ、早いとこ、変えないと・・・と思いながら、
過去の作歴情報と経歴を手始めに改良していた

というか、私の経歴は本当にひどい
しかも、このままの情報で展示会に出したりしている(もちろん日本語のみ)


↓これが、以前の経歴↓  ひどい・・・苦笑

http://fukuchiayako.blogspot.jp/p/biography.html


やる気がないと様々な人に言われてしまう程に情報が薄い・・・

コンペとか出してないし、賞とか獲ってないから、仕方がないのだけど、ということで情報がなんとなくたくさんあるように、改良してみた

ちなみにこれが、お買い上げいただいた作品につけている、略歴の紙
これをみて、絶句していた同業者の作家さんがいたが。。。笑
 
というか、日本語の情報は、きっとblogの違うところにたくさん書いてあるので、英語の方に重点を置いてみた
なんとすごく活用できたのが、カナダに居た時に、なんとなくかいたresume(履歴書)
これを利用して書いていた。
まさか、こんなところで、役に立つとは・・・


↓こちら改良した経歴↓ かなり情報が増えた、気がする・・・

http://fukuchiayako.blogspot.jp/p/1981-2004-2006-1981-born-in-tokyo-japan.html

tumblrとかgoogle+とかも、本当はあるのだけど、見る専用でまったく使いこなせていないので
使いこなせたら、載せます



ちなみに、最近、提出を頼まれていたので、久しぶりに日本の履歴書を書いていたのだが
その職歴に

平成⚪︎年 ⚪︎月 旅に出るために退職

と書いたけど、ありなのだろうか…

社会性がないのがすぐにわかる…

2015/03/11

ここではないどこかを見るために

たとえば、

私にとっては、
行きたい場所がいっぱいあって、

それが、"そこ"でしか見れない絶景だろうと、
世界遺産だろうと、
友達のおばあちゃん家だろうと、
誰かのお墓だろうと、
洗濯物が頭上にたなびく裏路地だろうと

ぜんぶそれぞれの魅力があり同じだけの価値がある
 
結局、"そこ" で見たり、感じたり、味わったり、出会ったりしたいがために、

ここではない何処かに行きたいといつも考えている

で、"そこ"のヒトや風景や色彩が、やはり美しいものであって欲しいと願うし、それを余すことなく味わいたいと思う

戦争や災害や事故やテロで、行くことができなくなったり、行った先で悲しいヒトに出会うのは、嫌だ

やはり、胸ふくらませ行った先で出会いたいのは、暖かくてやさしく美しく居続ける場所やヒトであって

それを見たいがために、
 
ものすごく自分本位な理由だと思うけど、

平和と安泰と無事と幸福を心から願うし
 
カタチがあるものももちろんだが、
カタチのない心みたいなものや、空気のようなものにこそ、

どうかゆるぎなく、強く、優しい復興の風が吹き続けていきますように


4年前と明日へと続く、やはり美しいセカイのために
 
2015.3.11
 


Le vent se lève, il faut tenter de vivre.





 
ところで、
私も3、4年前くらいまで参加していた、東日本大震災ものづくり支援プロジェクト
時間が取れなくなってしまってすっかり参加できなくなっていたが

友人はまだまだ続けている

『継続する』って何にもまさる支援だと思う

実質的な支援よりも精神的な支援が本当に大切だと思うから


少しだけスモークかけてます
しょうこちんがくれた写真

 

2015/03/08

三越の展示について

このたびは、日本橋三越本店 6階工芸サロンでの展示にお越しいただきまして、ありがとうございました。

今回は、会期がかなり長いので(3週間)、残りあと1週間強(3/17まで)ありますが、
一通り、本日までは会場に適当(?)に在廊しておりましたが、
月曜から制作に入ると思いますので、会場にはおりません。申し訳ありません

私に会いたくない場合は、今がチャンスです(笑)

とてもありがたいことに、色んな方にお買い上げいただき、作品の数も残り少なくなってきました。
まことにありがとうございます。

今は、売約済みの作品を少し一緒に展示させていただいておりますが、
10日からは、売約済みの作品はすべてひいてしまい、残っているもののみとなり、規模もかなり縮小されると思います。

会場には、芳名帳を置いておりますので、もしお越しの際は、ご記帳いただけるとうれしいです。

今後とも、どうぞよろしくおねがいいたします。



帯留め

<展示のお知らせ>


ふくちあやこ作品特集

http://fukuchiayako.blogspot.jp/2015/02/concerning-my-new-exhibition.html

2015年 2月25日(水) 〜 3月17日(火)
午前10時~午後7時
(3月3日(火)、10日(火)および最終日は午後4時閉場)


日本橋三越本店
本館6階 美術工芸サロン


New exhibition of works by FUKUCHIAYAKO
(Ayako Fukuchi)

February 25 - March 17, 2015
open from 10:00am - 7:00pm
(March 3th, 10th, and 17th open from 10:00am - 4:00pm)

At 6F Mitsukoshi art salon, Nihonbashi, Tokyo

FREE

I have my new exhibition for the first time in a year.

2015/03/05

かえでくん、(私の)記憶を救う

(これも3週間くらい前の製作期間中に書いた日記ですが、今さらのせます。ブログの書き途中がいっぱいあって、今整理中です笑 明日、また昼過ぎから在廊しています。あさっても、もしかしたら・・)




どうでも、良いことなのだが
昔の記憶がどんどん薄れていく一方
ある一つの記憶が異常に脚色され記憶にとどまることがある

それが、自分の人生に、大して影響が無さそうなものに限ってな気がする

その逆に、覚えておかなきゃならないことなんかが、簡単に風化していく

覚える必要も願望もないのだが、
あまり学生の時の記憶がない
特に、中高は本当に思い出せない

小学校時代もしかりだが、
今だに、何度も思い出す光景が3つほどある
その中の一つが、かえでくん

時々、これは自分が頭の中で作り上げた映像なんじゃないかなと感じる時もあるけど

かえでくんに関しては、今だに事あるごとに、何度も思い出す

かえでくんは、元気だろうか
どんな大人になったのだろうか

かえでくんは、怒りのパワーがすごかった

癇癪持ちの私も、爆発の仕方はそれと似ていたが、
体裁というものが、人一倍強かったせいで、外にはなかなか出せなかった
 
だが、彼の場合、一度導火線に火が付くと、その凄まじさは誰も止めることができなかった

いつもは、ほとんど感情を出さない口数の少ない静かな男の子だった
体も大きくないし、どちらかというと、小さく少しずんぐりむっくりした黒縁メガネの男の子だった

何が原因だったのかわからないのだが、彼の怒りに触れると、教室中のありとあらゆる椅子や机が宙を舞うことになる

そして、先生さえ彼を止められなかった

しょっちゅうあったわけではないけれども、私は5回ほど見かけたことがある気がする

その日も、何が原因だったのかわからないが、
廊下に人だかりができていて、教室の中をのぞくと、めちゃくちゃになった机と椅子の中
一人残ったかえでくんが机を大きく振りかぶり、教室の前方に投げていた

放課後の教室は電気がついていなくて、少し暗くなっていた
晴れた空は、少し夕焼けで染まっていて、
窓の外の澄んだ景色と逆光気味の教室の薄暗さで、表情が見えないかえでくんは、鉄人28号みたいだった

教室の中に響き渡る、机や椅子がぶつかり合うパイプ音だけが、そこに存在していて
かえでくんからは、何の音も出ていなかった気がする

恐怖もあったけれど、共感が強かったし、なんだか少しうらやましくもあった

かえでくんは、ちょっとしたヒーローに見えた
積み上げられた机と椅子の中で息巻く、孤高のダークヒーロー

私の癇癪持ちは、いまだかわらず、この歳になっても、それに付き合うのに少し苦労する
かえでくんも、きっと自分の怒りを持て余していたのだろう

強大な癇癪は、時に自己を失い、何に腹を立てていたのか、もう訳が分からなくなる
だけど、その熱量だけは腹の奥底からマグマみたいにせり上がってくる
とめることなんてできない

それは、我慢してもしなくても、すごくしんどい

グツグツ煮え立ったマグマを外に放出しないことには、頭がグラグラして息さえできなくなる
けど、噴火させた後に残る、疲労感と自己嫌悪もまたどうしようもなくて、押しつぶされそうになる

どうしたら、癇癪をおこさず、なおかつ、感情がねじれたりせず、腐った根を張らないで済むのだろうか

かえでくんも、机の転がる教室の中で、
自分を突き動かした原因なんてすっかり忘れていたのだろう
ただ、どうしようもない強大な熱量を身体の外にとにかく出したくて
椅子や机を投げ飛ばしていたんだと思う

かえでくんは、20年以上たった今、どんな大人になったんだろうか

と、制作しながらぼんやり考えていた





















<展示のお知らせ>


ふくちあやこ作品特集

http://fukuchiayako.blogspot.jp/2015/02/concerning-my-new-exhibition.html

2015年 2月25日(水) 〜 3月17日(火)
午前10時~午後7時
(3月3日(火)、10日(火)および最終日は午後4時閉場)


日本橋三越本店
本館6階 美術工芸サロン


New exhibition of works by FUKUCHIAYAKO
(Ayako Fukuchi)

February 25 - March 17, 2015
open from 10:00am - 7:00pm
(March 3th, 10th, and 17th open from 10:00am - 4:00pm)

At 6F Mitsukoshi art salon, Nihonbashi, Tokyo

FREE

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2015/03/04

ナイトメア

(これは、1週間くらい前に書いた日記なのだけど、展示前だったので載せていなかったのだが)

今に始まったことではないのだけど
今日の悪夢も一段とひどかった
ひどすぎて軽い吐き気とともに起きた

起きて、あぁ夢か…と、ホッとしたことが数え切れないくらいある
夢から覚めても、後味の悪さは、なかなか消えてはくれないのだけれど

夢には色も着いているし、五感も機能している
だから、余計生々しい

小さい頃から夢見が悪いから、
夜が来るのがすごく怖かった

そんなのだから、小学生のころ、ねる前に読む本を買ってもらったことがある。
シチュエーション児童書というのだろうか

いろんな作家の色んな夜にまつわる話が十数話まとまったアンソロジーだ
詩も入っていた気がする

これが、割と好きだった気がする

このシリーズは、色んなシチュエーションがあった
 『うそをついた日に読む本』とか、『だれかを好きになった日に読む本』とか、『わすれものをした日に読む本』とか、『0点をとった日に読む本』とか…
私が持っていたのは、『ねる前に読む本』


悪夢は、ものすごく後味が悪く、起き抜けにひどい疲労感と虚脱感を伴うのだが、
時にすごく綺麗なものも見せてくれる

今日のは、
暗闇に近い部屋の、正面の吹き抜けに、
二階まで伸びた大きな枝ぶりの鮮やかな黄色いハナミズキが、
象牙色のとても大きな壺に生けてあった
 
吹き抜けの部分は、天窓がわずかにあいていたからか、外光がうっすら入ってきていて
薄ぼんやりとそこだけ明るかった
その淡い光の中で、黄色い薄い花弁は、わずかに発光しているかのように山吹色に上品に咲き誇らせていた
 
それがあまりに綺麗だから、近寄って写真を撮ろうとしたが、
光源がたりなくて、うまく撮れなかった

 
だがその夢の続きの、目覚める直前くらいは、ひどく不快な夢だった

 

いつも夢に翻弄されている気がするので
 
夢を食べてくれるバクみたいな生き物が欲しい

かなりの確率で作品に夢にまつわるものが出てきたりする

多分、私のバクは、肥えそうだな

 


<展示のお知らせ>


ふくちあやこ作品特集

http://fukuchiayako.blogspot.jp/2015/02/concerning-my-new-exhibition.html

2015年 2月25日(水) 〜 3月17日(火)
午前10時~午後7時
(3月3日(火)、10日(火)および最終日は午後4時閉場)


日本橋三越本店
本館6階 美術工芸サロン


New exhibition of works by FUKUCHIAYAKO
(Ayako Fukuchi)

February 25 - March 17, 2015
open from 10:00am - 7:00pm
(March 3th, 10th, and 17th open from 10:00am - 4:00pm)

At 6F Mitsukoshi art salon, Nihonbashi, Tokyo

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